イスタンブールのスルタンアフメット地区にはコンスタンティノープル競馬場があります。
現在は広場になっており、もともとの競馬場はレース用のレール以外はほとんど残っていません。
しかし、この広場にはエジプト、ギリシアなどから運ばれた遺物が残っており、一見の価値があります。
コンスタンティノープル競馬場について
コンスタンティノープル競馬場(ヒッポドローム)はビザンティン帝国時代に軽二輪戦車のレース場やさまざまな儀式の会場として使われていました。
現在は公園になっており、地元の人々からは「アットメイダヌ」(馬の広場) の名で親しまれています。
予備知識がないとただの広場のように感じてしまいますが、多くの歴史的な遺物が揃っていますので、スルタンアフメットモスクやアヤソフィアを見学される際にぜひ足を伸ばしてください。
コンスタンティノープル競馬場のロケーション
コンスタンティノープル競馬場はスルタンアフメットモスクと隣接しています。
トラムを利用される場合は、「Sultanahmet」駅から徒歩3分程度の距離です。
Binbirdirek, Sultan Ahmet Parkı No:2, 34122 Fatih/İstanbul
コンスタンティノープル競馬場の見どころ
テオドシウスのオベリスク
コンスタンティノープル競馬場でひときわ目を引くのがテオドシウスのオベリスクです。このオベリスクはもともとは紀元前1490年にエジプト新王国の王トトメス3世がエジプトテーベ(現在のルクソール)のカルナック神殿に建てた2本のうちの1本です。
390年に当時のローマ皇帝テオドシウスの命によりカルナック神殿より移設されたため、テオドシウスのオベリスクと呼ばれています。
運搬の際に3分割され、現在残っているものは一番上の部分だそうですが、3500年以上前のものとは思えないほど保存状態がよく、ヒエログリフがはっきりと識別できます。
コンスタンティノス7世のオベリスク
コンスタンティノープル競馬場にはもう1つのオベリスクがあります。
こちらのオベリスクの方が古く見えますが、10世紀にビザンティン帝国皇帝コンスタンティノス7世により競馬場の反対側の端に建てられたものです。
元々は金メッキされた青銅製の板で覆われていたそうですが、第4回十字軍に略奪されました。石積みの中核部分が現存していることから "Walled Obelisk" とも呼ばれています。
蛇の柱
予備知識がないと何だか分からないと思いますが、こちらの柱はギリシアのデルフォイから持ってこられたものです。
もとは3匹のからまった蛇の頭に支えられた金のボールがのった祭壇で、デルフォイのアポロン神殿にペルシア戦争時のプラタイアの戦いの勝利を記念して作られたものでした。
第4回十字軍により略奪されたため、今は柱のみが残っています。
しかし、第4回十字軍は同じキリスト教国のビザンティン帝国で略奪をするとは、ろくでもない連中でしたね。
ドイツの泉
最後にご紹介する見どころは、比較的新しく、1900年にドイツ帝国から寄贈で建設されたドイツの泉です。
ネオビザンチン様式の噴水の八角形のドームには8つの大理石の柱があり、ドームの内部は黄金のモザイクで覆われています
まとめ
コンスタンティノープル競馬場は一見普通の広場のような感じですが、歴史的な記念碑が数多くあります。
イスタンブールの旧市街の中央に位置していますので、スルタンアフメットモスクやアヤソフィアを見学される際には、ぜひ合わせて訪問してください。