こんばんは。
広島週末旅行の2回目は広島市内観光についてまとめます。
原爆ドームと平和記念公園
原爆ドーム
原爆ドームの正式名称は広島平和記念碑で、被爆当時は広島県産業奨励館と呼ばれていました。
爆心地から近いにもかかわらず、爆風がほとんど上から真っ直ぐ下に働いたため、奇跡的に厚い側面の壁や鉄骨のドーム部分などは倒壊を免れたそうです。
戦後、保存するか取り壊すかの議論を経て、1966年広島市議会により保存が決議されました。
原爆ドーム保存を要望する決
広島市は昨年、100万円の調査費をかけ、原爆ドームの保存方法について調査を完了した。
その結果、補強によって保存に耐えるとの報告をうけている。
核戦争阻止、原水爆の完全禁止の要求とともに、ドームを保存することは被爆者、全市民、全国の平和をねがう人々が切望しているところである。
ドームを完全に保存し、後世に残すことは、原爆でなくなられた20数万の霊にたいしても、また世界の平和をねがう人々にたいしても、われわれが果たさねばならぬ義務の一つである。
よって、このドームの保存について万全の措置をとるよう決議する。昭和41年7月11日
広島市議会
1996年に世界遺産にも登録されました。
原爆ドームは通常の文化財建造物とは異なり、破壊された建物を破壊されたときの状態で保存していくことに重要な意味があり、原型をいかに残した状態で保存できるかが今後の課題となっています。
爆心地
爆心地は現在は病院になっています。病院の壁に下記のような当時の写真が飾られています。
原爆犠牲ヒロシマの碑
1982年に原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会により建立されました。
建立の目的は以下のとおりです。
原爆により犠牲となった人々の叫びを永遠に記し、ヒロシマの心をあらわすとともに、戦争の悲惨さと核兵器廃絶の課題を学び、平和への決意を固めるため。
原爆の子の像
2歳で被爆し10年後に白血病を発症して亡くなられた佐々木禎子さんを始め、原爆で死んだ子の霊を慰めるために1958年に建てられた石碑です。
今もたくさんの折り鶴が捧げられています。
原爆死没者慰霊碑
原爆死没者慰霊碑の正式名称は「広島平和都市記念碑」です。
中央の石室の中には、国内外を問わず被爆して亡くなった方の名簿が納められ、毎年書き加えられているそうです。
遠くに原爆ドームが見えます。
広島平和記念資料館
1955年に原爆による被害の実態を世界の人々へ伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を訴えることを目的に開館されました。
被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を収集・展示するととともに、広島の被爆前後の歩みや核時代の状況などについて紹介しています。
東館と本館に分かれていますが、本館は現在改装中です。
資料館では、遺品のみならず、犠牲者の写真やエピソードが残されており、読み進めるのが辛かったです。
広島城
広島城は1589年に毛利輝元により築城された輪郭式平城で、鯉城(りじょう)、在間城(ざいま)、当麻城(たいま)とも呼ばれます。
名古屋城、岡山城と共に日本三大平城とされる広大な敷地を誇ります。
1945年まで天守を始めとする城郭建築が現存し点在していましたが、アメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊し、現在見られる城内の天守以下城郭建築はすべて1958年以降に再建されたものです。
天守閣の中は広島を中心とした歴史資料館といった趣です。
歴史に興味にある方でしたら、楽しめると思います。
まとめ
平和記念公園は川沿いにあり、オープンカフェがあったり、ヨーロッパの公園のようでとてもおしゃれです。
しかし所々に戦争の傷跡が残っており、平和な雰囲気とのコントラストがとても印象的でした。
普段、戦争とか平和とか余り考えることがなかったのですが、改めて戦争の悲惨さと現在の平和な日本を実感した広島市内観光でした。